「赤ちゃんを殺すことができなかった…」ある医師の”違法行為”から、特別養子縁組は始まった
2020.11.11
家族や、親子の「血がつながっていること」って、本当に必要なこと?
現在も、2週間に1人の赤ちゃんが「虐待」で殺されている日本(※)。まだまだ閉鎖的で、きちんとした制度が必要な日本の養子縁組のあり方。インターネットやアプリで赤ちゃん縁組をおこなう団体の出現と危険性。不妊治療の先は出産だけがゴールなのか、それとも家族をつくりたいのか。
赤ちゃんが幸せに生きるための「特別養子縁組」について、様々な角度から考えていく本連載。
第1回は「産まなくても育てられます」著者、特別養子縁組のあり方を取材し続ける朝日新聞「GLOBE」副編集長 後藤絵里さん、特別養子縁組の現場に長年携わる第一人者であり、自身も養子の親であるアクロスジャパン代表 小川多鶴さんが登場。1年前より赤ちゃん縁組事業を開始し、赤ちゃん遺棄問題の解決に挑戦する認定NPO法人フローレンス代表理事 駒崎弘樹がインタビューします。
「特別養子縁組」というキーワードを通して、様々な角度から「本当の家族のあり方とは?」について考えていきます。
※出典:子ども虐待による死亡事例等の検証結果等について 社会保障審議会児童部会児童虐待等要保護事例の検証に関する専門委員会 第12次報告(平成28年9月)
駒崎:最初に、なぜ小川さん後藤さんは特別養子縁組に関わることになったのでしょうか?
小川:私自身が、特別養子縁組で子どもを迎えたことが最初のきっかけです。
当時アメリカのカリフォルニアに住んでいて、国際養子縁組という形で日本から子どもを迎えました。その時、日本の養子縁組のあり方がすごく閉鎖的なこと、きちんとした制度がないことに驚きました。そのため、子どもを迎えるのにすごく苦労したんですね。
その後、「どうやって子どもを迎えたの?」と沢山の人から問い合わせを受けました。この体験がきっかけで、2009年に日本に帰国し、特別養子縁組の事業を立ち上げたのです。
全く特別養子縁組が普及していない日本の現状を目の当たりにしたところからのスタートでした。
一般社団法人アクロスジャパン 小川多鶴
2006年より米国養子縁組団体Across The World Adoptionsにて勤務。
日米間にて養子縁組コーディネーター、家庭調査業務を行う。2009年帰国し、特別養子縁組支援団体のアクロスジャパンを設立、日本国内を拠点に、医療と協働した養子縁組を取組開始。2010年第1回世界養子縁組会議に日本代表として招致。自身もアメリカ人の夫と間に養子縁組にて息子を迎える。社会福祉士、オンラインセラピスト。
後藤:私は育休明けの2010年に、朝日新聞「GLOBE」(日本にも関係する国際的なテーマを、ワントピックで扱う日曜版)の担当部署に配属されました。
翌年、以前から興味があった不妊治療や生殖医療の特集を提案したところ、当時の編集長から「不妊治療の記事はよく目にするので、皆がまだ知らない「養子縁組」に目を向けてみては」とアドバイスされました。
養子縁組先進国といえばアメリカだ!ということでリサーチを開始、アクロスジャパンさんが提携されている、国際養子縁組の仲介をおこなうカリフォルニアのNPO「アクロス・ザ・ワールド・アダプションズ」に行き着いたのです。
アメリカに行ってみると全く知らなかった世界が広がっており、驚きの連続。一方、帰国して調べてみると、日本ではいまだに養子縁組をとりまく環境が、ものすごく閉鎖的な状態であることに二重に驚き…。
「こんなに必要とされる制度なのに、なぜ日本で普及しないのだろう?」という疑問から、このテーマに深く関わっていくことになったのです。
朝日新聞「GLOBE」副編集長 後藤絵里
1992年朝日新聞社入社。西部本社社会部、東京本社経済部、「AERA」編集部、土曜版「be」編集部などを経て、2010年より「GLOBE」記者、2015年より現職。
「GLOBE」にて2011年秋に「養子という選択」を特集して以来、特別養子縁組の取材を続けている。2013年9月から半年間、日本財団の「社会的養護と特別養子縁組研究会」委員。
年間12万件もの特別養子縁組が行われるアメリカ
駒崎:アメリカと日本ではそんなに落差があったんですね?
後藤:アメリカでは推計年間12万件もの特別養子縁組がありますが、日本では現在でも600件弱と、アメリカ比で0.5%程度しか実施されていません。(※厚生労働省調べ)。
アメリカでは「養子縁組のどこがめずらしいの?」という反応がほとんど。それくらい一般的な事だったのです。一方、日本では養子縁組の言葉を出すのもはばかられる雰囲気で、養子縁組で家族となった人を取材したくても、今のように名前や顔を出して取材に応じてくれる人を見つけることが非常に大変でした。
それから、私とちょうど同じ年代の親友が不妊に悩み、「養子を考えている」と行政窓口に相談に行ったのです。しかし、対応した職員に「養子縁組は子どものための制度であって、あなたがた夫婦のための制度ではありません」とけんもほろろの感じで言われ、傷ついて帰るという経験をしていて、何かがおかしいと感じました。米国での取材より数年ほど前のことですが、こうした個人的な体験も、この問題に関わるきっかけになりました。
とある医師の「違法行為」から始まった
駒崎:さて、日本の特別養子縁組はどのように始まったのでしょうか。実は一人の医師の勇気ある取り組みがきっかけだったんですよね。
後藤:そうです。今から40年ほど前の事件に遡ります。宮城県石巻市で開業医をしていた産婦人科の菊田昇医師の存在が始まりです。菊田医師は中絶手術をおこなえる優生保護法の指定医で、望まぬ妊娠をした女性たちが未婚・既婚を問わず、中絶手術を受けるために菊田医師の元を訪れていました。当時は妊娠7カ月までの中絶が認められており、妊娠後期の女性も少なくなかったようです。
敬虔なクリスチャンだった菊田医師にとって、生まれてくるはずの命を奪うことは非常に辛いことでした。菊田医師は悩んだすえ、赤ちゃんを殺さずに済む方法を見つけたのです。「産みの母親が育てられない赤ちゃんを、子どもが欲しい夫婦に紹介し、夫婦の間に産まれた赤ちゃんとして虚偽の出生証明を書く」という方法です。いわゆる「藁の上の養子」です。
1973年、毎日新聞の記者が地元紙に載った小さな広告を見つけました。「生まれたばかりの男の赤ちゃんを我が子として育てる方を求む」というその広告を見て、記者は取材を申し込みます。そこで菊田医師は意を決して全てを話したのです。記事を全国版に載せるという約束と引き換えに。その後、菊田医師自身は愛知県医産婦人科医会から告発され、優生保護法指定医としての資格を剥奪されてしまいます。
医師法違反、資格剥奪…世の中に議論を巻き起こし、流れを変えた
後藤:医師法違反をし、資格を剥奪されてまでも赤ちゃんの命を救おうとした菊田医師の行動によって、国会を巻き込んだ大論争となった結果、1987年、民法の特例法として「特別養子縁組」の制度が誕生しました。子どもと生みの親との法的な親子関係を終わらせ、育て親との間に新たに親子関係をつくるもので、戸籍にも「養子」ではなく、実子と同様に「長男」「長女」と記載される、日本初の制度です。
駒崎:菊田医師は、法に反すると分かっていながらも、意思を持って100人以上の赤ちゃんを助け、それが世の中の議論を巻き起こし、結果として特別養子縁組制度が初めて誕生したのですね。この制度はその後どうなっていったんでしょう?
小川:残念ながら、日本ではほとんど発展しませんでした。行政の制度の中では特別養子縁組制度が機能しなかったのです。というのは、既に里親制度があり、そちらが優先されたためです。既にある制度にのっとって子どもを委託する方がラクだよね、と。今でもそうした傾向は色濃く残っています。
「里親」は実の親との縁を切れない
駒崎:今「里親」という言葉が出てきましたが、「里親」と「特別養子縁組の親」は混同されがちですね。
小川:「里親」は子どもが実の親との縁を切ることなく、育ての親が一定期間、実の親に代わって子どもを養育する制度です。里親として養育する期間は原則として18歳までと決められています。
里親には、短期や週末だけ、長期的に養育する、など色々種類があります。養子縁組を目的とした里親も新設されました。一方、特別養子縁組は、子どもと育て親との間に法的に実の親子と変わらない関係が成立し、産みの親との関係は消滅します。
行政のエアポケット化で進まない「特別養子縁組」
駒崎:ちなみに児童福祉の公的機関である児童相談所は、産みの親が育てられない子どもや親(妊婦)をサポートする役割も担っています。しかし、せっかくできた特別養子縁組制度も、既存の行政の枠組みでは機能しなかったんですね。
後藤:海外では、産む前から妊婦さんの相談にのり、赤ちゃんが生まれたあと、お母さんがとりうる選択肢の一つとして養子縁組を位置づけている団体が多く、たいていは妊娠相談と養子縁組仲介がセットになっています。
一方、日本の児童相談所は「子どもに関する業務を扱う役所」なので、数年前までは妊娠中に相談に行ったとしても「産まれてから来てください」という対応だったんです。しかし、産まれてから相談にのるのでは遅すぎます。
「児童ありき」の児童相談所では、胎児や妊婦が対象外に
駒崎:児童相談所は「児童ありき」の役所なので、胎児や妊婦は保健関係の管轄になってしまい、児童相談所の役割外になってしまったことが、特別養子縁組が行政主導で広がらなかった要因の一つなのでしょうね。
後藤:また、特別養子縁組は、法的に「実の親子」になります。そうなると、「家庭という私的な領域に行政は立ち入れない」というロジックが成立してしまう。「親を必要とする子ども」という状態は全く同じなのに、法律上親子になるなら支援しない、法律上親子ではない里親子なら支援する、という明確な区別がされてしまうんです。
ただ、中には一部の児童相談所や、愛知県産婦人科医会など、特別養子縁組に積極的に動いたところもあります。また、この30年間、思いをもって、人知れず赤ちゃん縁組に取り組んできた民間の団体や個人も多いんですよ。
駒崎:なるほど。制度と制度のはざまを埋めるように、民間の団体が誕生していったのですね。産婦人科や医師団体、一般の方など、民間が養子縁組の現場を支えてきた30年間だったということがわかります。
次ページ:産んでも育てられない…その子ども達が行く場所は「施設」
●予期しない妊娠で悩まれている方、ぜひご相談ください。周りにそういう悩みを持った方がいる、という人も、ぜひ赤ちゃん縁組・特別養子縁組制度について紹介してあげてください。
※予期しない・望まない妊娠相談はこちら「フローレンスの赤ちゃん縁組 にんしん相談」
●赤ちゃん縁組で家族を迎えたい、という人は養親募集を行っています。一人の命を託すことになるので、様々なハードルは当然ありますが、それでも、という方は、ぜひご連絡をお待ちしております。
※養親相談窓口はこちら「フローレンスの赤ちゃん縁組」
●フローレンスは皆さんに支えられながら、今後も赤ちゃん縁組事業に取り組んでいきます。 一人でも多くの赤ちゃんの命を救いたい。一人でも多くの産みの親の人生のリスタートを応援したい。そして、一つでも多くの幸せな、新しき家族を創りたい。あなたと一緒に。